かつて花街として栄えた「播磨の小京都」たつの市。そこで仕出し屋を営んでいたのが「春駒」でした。たつのを訪れる商人たちをもてなすため、たくさんの注文を受けた「春駒」は地域で愛され、たつのとともに繁栄の歴史を刻んでいました。
町の仕出し屋として、繁栄の一途をたどっていた「春駒」。しかし日本が戦争に加った時代、第二次世界大戦の戦火の中での経営は難しく、苦境に立たされた「春駒」は閉業を決意。たつのと共に時代を歩んだ仕出し屋は、人びとに味の記憶だけを残し、惜しまれながら姿を消すこととなりました。
戦後も継承されることのなかった「春駒」。町もかつての活気を失い、繁栄の痕跡を点々と残すのみとなってしまいました。しかし世代を超えた今、初代の曾孫である私、内海育生は「春駒」とたつのの町の復活を強く願い、当時評判であった焼きあなごの味の再現を始めました。「絶対に無理だ」と反対をされつつも、唯一当時の味を記憶していた母親の協力を得て、試行錯誤を繰り返しました。苦労を重ねながら仕出し屋当時の味を再現した年の秋、たつの市で開催されたオータムフェスティバルで、「春駒」として焼きあなごを提供すると、地域からは「なつかしい味だ」「昔はよくお使いに行って買っていた」と、多くの声が寄せられました。
オータムフェスティバルが終了してからも、「春駒」の焼きあなごを食べたいという声は絶えず、復活を希望する人も現れました。オータムフェスティバルでの反響と、その後お客様から寄せられた声に後押しされ、私は「春駒」を焼きあなご屋として継承することを決意しました。かつて播磨の小京都として栄えたこの地に再び活気を呼び戻せるように、新生「春駒」の主として100年復刻の味を守り続けていきます。